【感動をプロデュース】プラザエンタープライズ
「会社は、社員の幸せの為にある」「会社は貴方の成功実現の手段です」
お客さまに感動していただくには、まずは社員が夢を持って働ける環境が必要です。短期間で一人前のプロフェッショナルを育てる人材育成制度や、学歴やキャリアではなく結果に対するフェアな昇格を導入し、誰もが納得できるクリアな報酬制度を確立しています。私たちはこれら全てを注ぎ込み、社員1人ひとりのやる気と可能性を最大限に引き出し、未来の経営者へのノウハウを伝授します。会社は、社員の幸せのために。
貴方自身の成功や自己実現の”手段”として、プラザエンタープライズを大いに活用してください。
29歳で入社、ウェイターから会長へ
私は一旗上げようと宮城県から上京して、保険業界や一般企業の営業職などいくつかの職種を経験しました。それらの職ではどれだけ外回りで汗だくになってもほとんど給料が上がらず、自分の頑張る意味はあるのかと不満を持ちながら転職の機会をうかがっていました。そんな時にたまたま就職情報誌の広告を見て、プラザに転職しました。29歳でしたが、当時は30歳ぐらいの新人はごく普通でしたね。
最初は浅草の店舗に配属されて、ウェイターから始めました。広い店内を毎晩のように3万歩から4万歩は駆け回ったと思います。1日1日が目まぐるしく過ぎていきましたが、とても充足感がありました。
転職して良かったのは、頑張った分だけダイレクトに稼げること。自分の頑張りが正当に評価してもらえたことが一番嬉しかったですね。学歴や年齢に関係なく活躍のチャンスが与えられていたので私も多くのアイデアを出してきました。
私が初めに行ったことが制服の改革です。この世界に入ったときに先輩たちの服装を見て真っ先に一番「これはだめだ、もう古い」と思ったからです。誰が見ても水商売と分かる服装だったんです。
これから若い子を集めようとしているのにそんなガラの悪い服装ではだれも面接に来ないと訴えても先輩方には伝わりませんでした。
「うわっ水商売だ」とイメージをもたれたらダメだと思い、制服の変更を提案。当時DCブランドが流行っていたので、ミスタージュンコの襟なしのシャツにジャケット、クロスタイという制服にしました。
そんな制服で当時あまりガラのよくなかった駅前を闊歩すると街の人たちが「え、何?あの人たち」「ホストではないよね?」と注目されたものです。
キャバクラとは誰も思わないくらいピシッとしていたので、男子が有名になって女の子の人材がかなり集まりました。ウェイター希望の男子も増えて「早く幹部になってあれが着たい」と頑張ってくれましたね。皆、初めて幹部の制服を着たときは大喜びしてくれました。
初期投資はかかりましたが、十分お店に還元できたと思います。
夜の世界全般にいえることですが、男性スタッフは40代が多く「若い人はだめだ」という風潮が強くありました。
それに対しプラザは若い人を多く採用していたことが大きな特徴でした。
若い人が増えると新しい様々なアイデアが出てくるのでお店の活性化につながります。ショークラブで流す曲一つをとっても流行りの曲にすぐ対応できますし、他店との差別化を図れたことは大きなアドバンテージでした。
開店を待ち切れないお客さまが店の前の階段にズラッと並ぶ姿を見た時は、本当に嬉しかったですね。
そんな風に現場重視で日々を重ねて店長、部長、本部長、役員を経て今は会長に。自分で会長になろうなんて思ったことは一度もありません。その時々の頑張りを見ていてくれた上司が引き上げてくれて、気が付いたら会長になっていたという感じです。
プラザなら、2年間で倍の経験ができる
これからプラザに入社を考えている方に伝えたいことは「夜の仕事に対する偏見を持たずにとにかく2年間無我夢中で仕事に励んでみてほしい」ということです。2年頑張れば、早い人は店長クラスに昇格できます。
私も入社して最初にこう言われました。”ウチの会社で無我夢中で働けば、他の企業で4~5年かかることが2年でできるようになる”と。本当にその通りでした。
2年間で個人の結果が残せる業種はなかなかないですから2年後に「やってよかった」「自分はこんなことが出来たのか」と達成感を味わってもらいたいです。スポーツ感覚でいいので自分の能力を信じて挑戦して欲しいです。
最近は”自分探し”と言ってパワースポットに旅行する若い人も多いようですが、プラザで無我夢中になって働けば必ず何かが変わり、新しい自分を発見できると思います。
その後はプラザの中で上を目指し続けるのもいいですし、独立して自分で会社を興すことも支援していますから、ぜひプラザを利用して成長してほしいです。
本当のパワースポットは皆さん1人ひとりの中にあります。