独立したからこそ見えてきたプラザの凄さ

部長岡田勇人

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  • お金のためからやりがいのために

    25年前になりますが、水商売をやりたいという考えはなく完全に職種よりもお給料のよさに釣られて入りましたね(笑)

    当時は自分のやりたいことのために昼の会社を辞めて専門学校に入り直そうと思っていた時期でした。親に頼る考えはなく、専門学校の学費約400万円を2年間で貯める必要がありました。

    今のようにネットの求人広告はなかったので求人雑誌を買って開いたら「10年働いて1000万円」というプラザエンタープライズ(以下プラザ)の見出しが目に入りました。内容をよく読んで初めて「キャバクラ従業員の募集があるのか」と興味がわいてきて「よし、これで学費を貯められる!」と思い面接に向かったわけです。

    当初の目的はお金だったので、入社して1ヶ月ほどで1つ先輩のウエイターさんと衝突してしまいそこであっさりと一度辞めてしまいました。

    結局は戻りましたが、その時に戻った理由はお金ではなくやりがいのためでした。

    昼の仕事では高卒の私は後から入った大卒の人に抜かされていくばかりで、いわゆる学歴社会への不満を強く持っていました。しかし、プラザは入社時期や学歴は関係なく目標をクリアしたらどんどん上がっていけるのでやりがいを感じていました。

    1度辞めて戻ってきた身なので、「今度は覚悟を決めてやってやるぞ」というプライドがあり、昇格が生きがいといえるほど頑張ることができたので今ここまでやって来れました。

    私のキャリア

    私はプラザに入社してから4年で『コットンクラブ』の店長になり、5~6年ほどコットンにいました。

    しかし、次第に店長を続けているうちに「このまま私が店長を続けていていいのか?」と思うようになりました。コットンクラブ店長のポストが空かないことで2~3番手や他の社員のモチベーションが下がるのではないかと感じていたためです。

    当時の私は若さもありかなり自信家だったので独立を考えていました。「ちょっと外へ出て自分でやってみたいんです」という話をして、会長には『一回退社します』とお伝えしました。

    プラザを辞めるときには社長からお呼び頂いて、私が何をやりたいのかという話をさせていただきました。社長からは私の独立に向けていろいろな提案をして頂いて、前向きに『独立』への気持ちが固まりました。

    独立したからこそ見えてきたプラザの凄さ

    働いていた頃はわからなかった『プラザの凄さ』について、独立してから痛感することが多々ありました。

    まず、プラザの福利厚生は手厚かったと思います。店舗と別に事務所があるので見えないところで色々なことをやってもらっていたんだと実感しました。社会保険加入の手続きや寮の管理などの労務管理、社員のお給料や各店舗売上の管理など「現場が営業に集中できるように営業以外のすべての業務をやってもらっていたんだな」と有り難みを感じたのは独立したからこそ気付けたことですね。

    自分から言い出した『独立』でしたが、やはり個人でやると精神的にもつらい状況を数々経験しました。事業を継続することは難しいという事実も突きつけられました。上手くいかない状況が続いていたときに運命とも言えるような出会いがありました。

    たまたま「アメ横」あたりを歩いていたら、なんと平間会長と会ったんですよ。縁が繋がっていたのではないかと今では思います。

    会長は「戻って来れば」とおっしゃったんです。私は「虫がいい話だから、やっぱりそれはできないです」と最初は言ったんですが、会長から何度かアプローチ頂いて。

    自分で出ていったので申し訳ない気持ちもありつつ、ありがたい気持ちでいっぱいで、今まで以上にプラザのために頑張ろうと戻る覚悟を決めました。

    プラザの利点というのは「辞めたらそれっきりの会社ではない」ということです。

    プラザは、自分の意思をしっかり持って覚悟を決めた人を理解し戻れる場を作ってくれる会社です。

    昇格にスピードを求めてはいけない

    私が部下たちに声を大にして伝えたいことは「昇格にスピードを求めてはいけない」ということです。

    キャリアを上がった後にその役職に見合った実力と内容が伴っていなければいけません。私が身をもって体感したので今の子たちにはスピード感よりも経験を重視してほしいです。

    入社して最初はみんなスピードを求めます、私自身も早く上がりたいと思っていました。

    ありがたいことに上司の応援もあってサブマネージャーからヘッドマネージャーまでの階段はストレートに進み、入社して4年目で店長になりました。

    ただその後が問題でした。

    私の場合、途中で経験すべき苦労や経験をせずに数字だけで昇格してしまったんです。とくに対人経験が薄かったと今になって思います。キャストさんとの関わり方や部下の扱いが備わっていない状態で役職に上がってしまったので、その未熟さが売上に影響してしまった時期もありました。

    店長を経験したコットンクラブでのやり方は分かるけど、別店舗では勝手が分からず苦戦しました。どの店舗でも活躍できる人材になるには昇格のスピードは重要ではないと痛感しました。

    スピードと内容が伴う経験をした人が本当の意味で能力が高いのだと思います。私の時代には早く早くという風潮があり、他を蹴落としてでも上がりたいという雰囲気が自分含め回りも強かったです。だから、同僚が「僕辞めるんだよね」と言ってきたら、「やったライバルが1人減ったぞ」と思っていました。

    不安だったコロナ初期

    私自身、コロナが流行り始めた時期には不安になりました。一度2020年4月から5月に全店休業の措置をとっていましたし、社会的にも夜の仕事や飲食店の営業に対し否定的な風潮がありましたので、この業界にいていいのかどうかと悩むことが多かったです。

    お店を営業しないわけですから売上もない、当然我々の給料も保証されないだろうと。

    昼も含めて多くの会社や飲食店の知り合いに聞きましたが、やはり給料をもらえず「払えないから給付金をもらってくれ」と言われている人が多かったです。

    しかし、プラザはきちんと給料を出してくれたので驚きました。

    社会が大幅に変化している中、影響を強く受けず耐えられる底力がすごいと、私を含めスタッフ全員が思いました。頼れる会社なので、自分も貢献しなくてはとより一層感じた出来事でした。

    お給料は仕事・後輩に還元

    プラザも一般企業と同様に月の基本給と半年に1度の業績給が支給されます。いわゆるボーナスです。

    さらに、責任者は基本的には固定給ですが売上を大幅に超えて達成した場合には固定の額から外れて多く支給されるシステムもあります。モチベーションにつながり会社全体の業績も上がるので、いいことづくめのシステムです。ありがたいことに業績も安定しているので私個人の年収は1000万円を超えています。

    業績給が大きい額になった時には、アルバイトの子も含めて全員にお年玉を渡しています。ちょうど業績給をもらえるのが1月なのでタイミングもいいですし、私自身がなかなか稼げずきつい経験も過去にしているので後輩たちに同じ思いをしてほしくないという親心に近いものがありますね。

    お金の使い道としては、勉強のために他所のキャバクラに行くことにも使っています。

    これまでは「お客様視点を常に忘れないために」と会社の経費で行かせていただいていたのですが、金額的にも範囲的にも限りがあるので、稼ぐようになってからは自力で足を運ぶようになりました。

    今まで会社という狭い枠で仕事をしていましたが、他所を知ることで視野が各段に広がって自社に持ち帰れるのでかなりプラスに働いています。東京以外も含めて、仙台や福岡等の地方にも行くようにしています。

    また、仕事に還元できるものとして身だしなみにも投資しています。スーツにしろ時計にしろプラザの責任者として恥ずかしくないよう、いいものを着けています。

    お客様から見ると「儲かってるね」と嫌味なように見えてしまうかもしれないのですが、決してそうではなく先輩から「責任者だったらもっといいものを着なさい」と教わったからなんです。

    「働いているキャストさんは鏡だから、ボロボロの店長のお店ではキャストさんもボロボロになってしまう」と言われた言葉に感銘を受け、お客様だけでなくキャストさんにも見られている以上ぴしっと綺麗な格好を心がけています。面接で入ってくる女の子はみんな緊張していると思うので「この人がお店の責任者なんだ」と自分が第一印象になることを意識して洋服に投資しています。